犬飼いの今昔〜花ちゃんの想い出
スマートフォンに変えて以来、持ち歩くことのなくなった古いコンデジ。
どんな写真が残っていたかな〜、と整理していたら懐かしい
先代犬『花』の写真がたくさん出て来ました。
花ちゃんは1992年に我が家にやって来ました。
世田谷の農家の庭先で飼われていた犬がいつの間にか
子犬を産んでいて『困っているので貰って欲しい』とのことでした。
初代犬(この子は私が中学生の時、学校に捨てられていた子でした)が
亡くなってしばらくたっていましたし、その頃大病をして手術をし、長期入院をしていた父が
退院をしたばかりでしたので、リハビリのためにも朝晩の散歩のお供にと
我が家の2代目犬として迎えることを決めました。
今のアモキキの暮らしぶりを思えば、考えられないことですが
当時は・・・というより初代犬のときから(このときは昭和でしたしね〜)
『犬は庭の犬舎で暮らす』という飼い方が当然の我が家でした。
暑い夏の日中は木陰に移してあげたり
寒い冬や雨、雪、台風などの悪天候の日は玄関の中へ。
朝晩のお散歩と、ご飯、時々のブラッシングやお風呂などで
犬の世話としては充分だと思っていましたしね。
今のアモキキの一日中何かしらコミュニケーションをとり
朝から晩まで一緒に過ごすことが当たり前の生活を思うと
花ちゃんにはなんと寂しい思いをさせてしまったのだろうとちょっと切なくなりました。
『まったく・・・今の子達ときたらっ!』
花ちゃんを迎えたときの父は54歳、およその犬の寿命であろう15年後には69歳。
晩年の数年は犬の体力も衰えるし70前までなら
何とか自分が最後まで世話が出来るであろうという計画でしたが、
その計画に反して花ちゃんのパワーは10歳を過ぎても衰えることなく(笑)
いくらでもグイグイ歩く散歩に遂に父がネを上げ、花ちゃんが11歳のとき
『後はオマエに任せたっ!』と一方的に(笑)私に花ちゃんのその後のお世話が託されました。
それまで『親の飼ってる犬』として当たり前のように庭で暮らしていた花ちゃんですが
自分が飼うとなると何となく『このままで良いのか・・・?』と疑問も湧いて来るもんです。
ちょうどその頃さすがの頑強な花ちゃんもお年のせいで眼振を患い
それまで何でもガンガン食べていたフードを食べなくなってしまいました。
病気のこともあるので何とか部屋の中で花ちゃんを暮らさせてもらうよう
両親にお願いし両親の暮らす1階には入れない・・・という約束で晴れて花ちゃんは
11歳にして初めてお部屋犬となりました(笑)
『長い道のりだったんだわさ』
あれだけ『犬が家の中をウロウロするなんて!』と難色を示した両親ですが
慣れとは何とも・・・今ではアモキキが好き勝手過ごしていますがそれが当たり前になっています。
花ちゃんは犬も家族と一緒に家の中で暮らすもの!という実績を作ってくれた
パイオニアってことですね〜。
その後シニアなりに色々と病気はありましたが
手作りご飯に変えたとたんまた以前のように爆発的な食欲が戻り(笑)
『このまま食べられなければ1ヶ月もちません・・・』と獣医さんに言われてから
何とビックリ!その後7年間も生きてくれました。
享年18歳と8ヶ月、亡くなる2日前まで自分の脚で歩き、ご飯をきちんと食べ、
排泄の失敗も無く・・・最後の1日はちょっと苦しかったのではと思いますが
それでも長患いすることもなく潔い立派な旅立ちでした。
にゃんこにも優しかったね
亡くなる2週間前
思えば、花ちゃんにしてやれなかったいくつもの後悔、
あんなことも教えてやれば良かった、こんなところにも連れて行ってあげれば良かった・・・。
そんな思いが花ちゃんを見送った後たくさん、たくさん込み上げてきました。
そのことが今のアモキキとの生活に繋がっています。
考えてみれば『今の自分』に導いてくれたのは花ちゃんなんですねぇ。
まだまだ失敗も多いけど花ちゃんが残してくれたたくさんの教えを
これからもアモキキとの生活に生かしていこうと思うよ。
犬と暮らす幸せを教えてくれてありがとうね、花ちゃん
どんな写真が残っていたかな〜、と整理していたら懐かしい
先代犬『花』の写真がたくさん出て来ました。
花ちゃんは1992年に我が家にやって来ました。
世田谷の農家の庭先で飼われていた犬がいつの間にか
子犬を産んでいて『困っているので貰って欲しい』とのことでした。
初代犬(この子は私が中学生の時、学校に捨てられていた子でした)が
亡くなってしばらくたっていましたし、その頃大病をして手術をし、長期入院をしていた父が
退院をしたばかりでしたので、リハビリのためにも朝晩の散歩のお供にと
我が家の2代目犬として迎えることを決めました。
今のアモキキの暮らしぶりを思えば、考えられないことですが
当時は・・・というより初代犬のときから(このときは昭和でしたしね〜)
『犬は庭の犬舎で暮らす』という飼い方が当然の我が家でした。
暑い夏の日中は木陰に移してあげたり
寒い冬や雨、雪、台風などの悪天候の日は玄関の中へ。
朝晩のお散歩と、ご飯、時々のブラッシングやお風呂などで
犬の世話としては充分だと思っていましたしね。
今のアモキキの一日中何かしらコミュニケーションをとり
朝から晩まで一緒に過ごすことが当たり前の生活を思うと
花ちゃんにはなんと寂しい思いをさせてしまったのだろうとちょっと切なくなりました。
『まったく・・・今の子達ときたらっ!』
花ちゃんを迎えたときの父は54歳、およその犬の寿命であろう15年後には69歳。
晩年の数年は犬の体力も衰えるし70前までなら
何とか自分が最後まで世話が出来るであろうという計画でしたが、
その計画に反して花ちゃんのパワーは10歳を過ぎても衰えることなく(笑)
いくらでもグイグイ歩く散歩に遂に父がネを上げ、花ちゃんが11歳のとき
『後はオマエに任せたっ!』と一方的に(笑)私に花ちゃんのその後のお世話が託されました。
それまで『親の飼ってる犬』として当たり前のように庭で暮らしていた花ちゃんですが
自分が飼うとなると何となく『このままで良いのか・・・?』と疑問も湧いて来るもんです。
ちょうどその頃さすがの頑強な花ちゃんもお年のせいで眼振を患い
それまで何でもガンガン食べていたフードを食べなくなってしまいました。
病気のこともあるので何とか部屋の中で花ちゃんを暮らさせてもらうよう
両親にお願いし両親の暮らす1階には入れない・・・という約束で晴れて花ちゃんは
11歳にして初めてお部屋犬となりました(笑)
『長い道のりだったんだわさ』
あれだけ『犬が家の中をウロウロするなんて!』と難色を示した両親ですが
慣れとは何とも・・・今ではアモキキが好き勝手過ごしていますがそれが当たり前になっています。
花ちゃんは犬も家族と一緒に家の中で暮らすもの!という実績を作ってくれた
パイオニアってことですね〜。
その後シニアなりに色々と病気はありましたが
手作りご飯に変えたとたんまた以前のように爆発的な食欲が戻り(笑)
『このまま食べられなければ1ヶ月もちません・・・』と獣医さんに言われてから
何とビックリ!その後7年間も生きてくれました。
享年18歳と8ヶ月、亡くなる2日前まで自分の脚で歩き、ご飯をきちんと食べ、
排泄の失敗も無く・・・最後の1日はちょっと苦しかったのではと思いますが
それでも長患いすることもなく潔い立派な旅立ちでした。
にゃんこにも優しかったね
亡くなる2週間前
思えば、花ちゃんにしてやれなかったいくつもの後悔、
あんなことも教えてやれば良かった、こんなところにも連れて行ってあげれば良かった・・・。
そんな思いが花ちゃんを見送った後たくさん、たくさん込み上げてきました。
そのことが今のアモキキとの生活に繋がっています。
考えてみれば『今の自分』に導いてくれたのは花ちゃんなんですねぇ。
まだまだ失敗も多いけど花ちゃんが残してくれたたくさんの教えを
これからもアモキキとの生活に生かしていこうと思うよ。
犬と暮らす幸せを教えてくれてありがとうね、花ちゃん